世界フィギュアスケート選手権の歴史は古いが、昔から現在のような形で行われていたわけではない。
1896年に初めて世界フィギュアスケート選手権がロシアのサンクトペテルブルクで開かれたが、このときは男子の競技しか行われなかった。1906年、初めて国際スケート連盟女子フィギュアスケート選手権(ISU championships for Ladies Figure Skating)がスイスのダボスにて行われ、また1908年には国際スケート連盟ペアフィギュアスケート選手権(ISU championships for Pair Figure Skating)がサンクトペテルブルクで行われた。これら2つの大会が、世界選手権となったのは1924年のことだった。
1930年、それまで別々に開催されていた男子、女子、ペアの各世界選手権が、はじめて一緒に開催され、その開催地もアメリカニューヨークと、はじめてヨーロッパ以外の開催地となった。その後、1940年から1946年にかけては第2次世界大戦の影響で中断され、再び1947年に、スウェーデンのストックホルムにおいて開催された。
1952年には、新たにアイスダンスを加えた大会がパリで開かれ、ほぼ現在と同じ形となった。1961年には大会に出場するアメリカ合衆国代表チームが搭乗したサベナ航空548便が墜落し大会は中止となった。アジア地域では、1977年に初めて東京において開催された。2004-2005年シーズンからは現行のISUジャッジングシステムにより採点が行われている。
有力国の変遷
最初にフィギュアスケート競技が盛んになったのはヨーロッパである。第2次世界大戦前にヨーロッパ地域以外で開催されたのはわずかに2回のみであり、好成績は主にノルウェー・ドイツ・スウェーデン・フィンランド・オーストリアといったヨーロッパ諸国の選手が挙げていた。
戦後、シングル、ペアにおいては1947年にバーバラ・アン・スコットが女子シングルで優勝して以来北米の2国・アメリカ・カナダの活躍がめざましい。1952年に始まったアイスダンスにおいては近年では北米から多くのメダリストを輩出しており、2011年には表彰台を独占した。
1990年代後半の数年間はロシアが女子シングルを除き優勝を独占し、席捲する勢いであった。
ISUジャッジングシステムが採用された2005年以降は頻繁に優勝者が交代し、また女子シングルとペアにおいてはアジア地域の選手が世界をリードするようになっている。
アジアからの優勝者は1989年女子シングルの伊藤みどりが最初である。ペア(2002年申雪・趙宏博組が初)、男子シングル(2010年髙橋大輔が初)でも優勝者を出しているが、アイスダンスでは2012年黄欣彤・鄭汛の12位が最高成績である。
アフリカ、オセアニア、南アメリカ地域からのメダリストは出ていない。